バックパッカー旅行記2008 インド(バラナシ・カルカッタ)~ヘナアートで遊ぶ&マザーテレサの家~

さて、前回のインドの記事の続きです!!

バックパッカー旅行記2008 インド(デリー)~社長からの預かりもの&盛大に腹を壊す~

サムネイルはヘタリアの香港くんです。

さて、電車のコンパートメントの中は、そんなこんなで、韓国人の4人組と一緒になりました。
男の人二人と、女の人(40代くらいの人と、20代くらいの女の子)の4人組でした。
彼ら自体は知り合いではないらしく、今回の旅の道中で知り合って結果的に4人になったと言っていました。

ちなみに、私は、あらゆる国で韓国人の子達と会っています。
例えば、前の記事に書いたアイルランド。更に、これから書く記事のアラスカ。
日本と韓国は、近いせいで色々なConflictもありますが、実際、私が海外を回っていて、一番、日本人に価値観が似ていて、お互いを思いやる日本の文化に近いものを持っているのは韓国の人達な気がしました。

もちろん、どこの国にも良い人も悪い人もいるので、私がたまたま出会った韓国人の人達が良い人だったのかもしれないです。
日本にも、正直どうしようもない人や、‎悪い人もいるので。。。。
でも、この時も、コンパートメントでは、彼らが持ってきた韓国のお酒(ショウジュウ)や韓国の揚げ海苔とかのお菓子と、私が持ってきた日本のこつぶっこやらで、コンパートメントで楽しい宴会が始まりました!
そして、私たちは素敵なお友達になりました☆

日本人一人だったら運が悪かったら危なかったですが、彼らと一緒だったおかげで、何事もなく、平和にバラナシまで着きました!韓国人の男の人達が「悪いインドの人が来たら、俺たちは兵役で鍛えられたから、俺たちがやっつけてやるから安心しろ!」と言っていました(笑)

バラナシの宿決め

そして、無事バラナシの駅に着きました!
そしたら、バラナシの駅からのリキシャもボってきました。
私と、日本人の男の子と二人で乗ったのですが2倍の価格を請求してきました、そして男の子は「分かったよ」と言って払っていました。
「だめじゃん!ここで払ったら。あのリキシャの人、絶対また同じこと日本人にやるよ!」
と言ったのですが、日本人の男の子は平和主義だったので「トラブる位なら払っておこうよ」と言っていました。

ちなみに、私が最初泊まろうと思っていた宿は、あまり治安が良くないと韓国人の人達が言っていました。というのも、宿の人が泥棒にカギを渡して、泥棒が荷物から貴重品を盗んでいる…といううわさを聞いたのでした。
インドだとありえないこともない気がして、私達は結局、その韓国人の子達が良いと言っていた韓国人宿に泊まる事にしました!

ちなみに、インドの日本人宿だと、クミコハウスという、日本人のクミコさんの宿もかなり有名と聞きました。クミコハウスとは、矢沢永吉や麻原彰晃も泊ったとされる一泊20円くらいの伝説の宿だと聞きました。
ガンジス川付近に看板もあると聞きました、でも、当時は「宿の中で葉っぱが横行している」と聞いて、やっぱり止める事にしました。

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バラナシで遊ぶ

ちなみに、この時は夏で、暑く、私のお腹は相変わらず壊れていました(汗)
というか、みんなお腹を壊しているようで、バックパッカー同士の挨拶は「元気?お腹は壊れてない?」「お腹壊れてるよ…」「だよね。いつから?」「私は3日前から」みたいな感じでした。

バラナシは実はシルクが非常に有名で、上質なシルクのお店がいくつもありました!!!

私と韓国人の女性二人の3人で、バラナシで有名なヘナのタトゥーを入れに行きました!
これは、ヒンディー語で「私達はお友達」って書いてあります!!
そしてこれが私たち3人の写真です!!二人とも大好きです☆

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夜は、プージャーという火の神様のお祭りをやっていて、それを見にいきました!
これはプージャーの写真です!!!

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夜は、韓国人の子達と一緒にみんなで韓国宿で飲みました!!
日本と韓国の話、色々しました!!(*^_^*)とても楽しかった。

ちなみにバラナシと言えばガンジス川です。
ガンジス川付近を韓国人の子達とみんなで散歩したりもしました!!
そこには、火葬場もあり、死体がガンジス川に流されたりもしていて、生命の流転を感じました。

ちなみに、ガンジス川で水浴びをしている人を見たことあると思うのですが、あれは、基本的には「ガンジス川はかなり不潔だからやめた方がいい」という話を聞きました。
あと、夜のガンジス川近くを歩いたら襲われて死体をガンジス川に捨てられる、とか、ガンジス川をボートで探索するツアーは、運が悪いとボートの上で殺されて死体をガンジス川に流されるとか、色々と聞いててドキドキしました…!!

あと、泊まっていた宿付近に、
「日本人で運び屋?か何かの濡れ衣で牢屋に入れられてしまった〇〇さんに会いに行こう」
みたいな張り紙があったりして、色々な意味で激しいなぁ…って思いました。

ちなみに、タージマハルとかに行く人も多かったですが、タージマハルは典型的な観光地と聞き、この時は行きませんでした。
私は、そのまま、次の日に夜行列車でカルカッタへ移動したのでした。

カルカッタへ移動

韓国の子達と別れを告げ、夜行列車でカルカッタに向かいました。
が、私のお腹は継続して極限まで壊れており、もう、腹痛をこらえながら夜行列車に乗りました。
これで変な強盗とかが近くに乗ってたら終わりだな…と思ったのですが、実際は、運よく、同じコンパートメントに日本人の男性が乗っており、
「先に寝ていいですよ、切符チェックとかも俺がやっておきますし、変な奴来ないよう見張っておきますんで」
と言ってくれました。本当にラッキーでした!

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その男の子とは、一緒に水上船に乗って同じ宿に行くはずでしたが、その水上船が発車する直前に男の子だけが無事飛び乗り、私は、飛び乗って川に落ちるのが怖くてできず、結局そこで別れてしまったきりでした。

ちなみに、私がカルカッタに言った理由は「マザーテレサの家」という、もう死を待つしかない人達を収容した施設のボランティアをやりたかったからでした。
私は、もっと、こじんまりした施設かと思ったのですが、行って見たら、どちらかというと「観光スポット」みたいな雰囲気がプンプンでした。
がっつりボランティアをやる感じではなく、少しの時間だけやって、あとは、ご飯を食べて終わり…みたいな感じでした。
日本の学生らしき人達の一団も来ていました!!

そして、私は、無事日本に帰りました。
みそ汁の香りが本当に懐かしかったです…!
お腹は壊れていましたが「意地でも帰ってやる!」と気合で日本まで帰ってきました。

そして、これだけの事があり、気づいたら顔面神経麻痺は治っていたのでした(笑)

次は、海外ボランティアのために出かけたアラスカです!!

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