バックパッカー旅行記2007 ルーマニア(ブカレスト) ~国営TV局で働くローラと、20歳で”Pay it Forward”を知った日①~

こんにちは!ずっと飛ばしていて書いてなかったルーマニアです。
前回はアルバニアでした。
バックパッカー旅行記2007 アルバニア(ポグラテツ、ティラナ)~地図もガイドブックも無く、手書きのメモだけで行く欧州一謎の国~

なんか言葉で書くとすごい安っぽいですが、私はルーマニアで、人生で5本の指に入る素敵な体験をさせてもらいました。

そのくらい、とてもルーマニアは私にとって思い出深く大好きな国なのです。

ルーマニアで教えてもらった乾杯の言葉、まだ覚えてます。
「Noroc!」ノロック!

国営TV局のジャーナリストのローラ

セルビアの記事に書いた通り、違う人から「2等車にはナイフを持った強盗が出る」と言われてビビったことにより、私はベオグラード~ブカレストは、1等車のコンパートメントに乗りました。
そこで同じコンパートメントに乗っていたのがローラでした。

ローラは、一人で日本人(というよりアジア人)の女の子がこの夜行列車に乗っているのが非常に珍しく見えたみたいで、色んな事を聞いてきました。
「なんで東欧を女の子一人で旅行してるの?」「どんな思いで始めたの?」「今までどの国に行ったの?」と色々な事を話しているうちに、私はローラと仲良くなりました。

ローラは35歳で、ルーマニアの国営TV局で働いていると言いました。
彼女は数年間フランスに留学していて、今日はフランスからルーマニアに数年ぶりに帰ってくる日なんだ、と言っていました。

ローラは「ルーマニアで非常に有名な歌手のドキュメンタリー番組を作成していて、今、企画書を書いているの」と言っていました。
その歌手の名前は「ドゥマ・ビラン」さんという女性の歌手で、日本で言う美空ひばりさんのような伝説的な歌手だと言っていました。

私は、その音楽を聴いて、絶対音感で、ドゥマビランさんの歌を五線譜に書き下ろして、目の前でローラにプレゼントしました。
そしたらローラは「ありがとう!!」といって凄く喜んでくれました。
私達は、話が尽きなくて、ずっと夜中まで色々な事を話し続けました。

朝になり、電車は無事ほぼ定刻にブカレストに着きました。
その頃には、ローラとは、すごく仲良しなお友達になっていました!!

ローラは「私の家のランチに招待するわ」と言ってくれました。
そして、私に、家の住所と電話番号を渡してくれました。
私はあらかじめブカレストの安ホテルを取っていたので、そこまで、ローラが一緒にタクシーに乗って送ってくれました。
私がタクシーのメーターを凝視してたら「何見てるんだ!!」と運ちゃんが怒鳴ってきました。。。この辺はタクシーもぼったくりが多いのでつい見てしまってました。。。

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また変な奴あらわる

ちなみに、私が泊まったホテルは、なんと、エレベータードアが手動でした!
自分でガラガラとドアを開けて、更にガチャン!と言うまでドアを閉めて、そしたらやっと動き出す仕組みでした。

ローラはホテルの前まで私を送ってくれ、
「シャワーを浴び終わったら、ちょうどいい時間に私の家に来てね」
と言ってくれました。

そして、私はローラの家に向かうのですが、ブカレスト駅から「100番のバスに乗ってね」と言われていたので、ブカレスト駅の観光案内所の人に100番バスの乗り場はどこですか?と聞きました、そしたらなんと、そこのお兄さんが、
「お嬢ちゃん、100番バスはないんだ。もうなくなってしまった。
だから、僕の車に乗ろう、僕の車で送ってあげるよ」
と言いながら、観光案内所のカウンターを出て、車のキーを持って追っかけてきました…!!
今まで、追っかけてくる幾度となくパターンはありましたが、観光案内所の人が、仕事を放って追っかけてくるパターンは初めてでした。

私は「またか…」と思いつつ、走ってブカレストの地下鉄駅まで逃げました。
結局、私は地下鉄でローラの家まで向かいました。地図に照らし合わせて、それっぽい駅で降りて、下りたら徒歩で向かいました。

ローラは私に会うなり、観光案内所のお兄さんの話を聞いて「ごめんね!この国は変な人もいるから…」と言ってくれました。
実際のところ、100番バスは存在し、お兄さんが嘘をついていただだけでした。

そしてローラはお母さんを紹介してくれました。
思えば、私は、ロシアからバックパックで旅をずっとしていて、小汚い見た目だったと思うのですが、そんな見ず知らずのアジア人の私を、ローラのお母さんは「よく来たね!ルーマニアへようこそ!」と言って優しく迎え入れ、更に素敵なランチを振舞ってくれました。
ランチは伝統的なルーマニア料理でした。とてもおいしかったです!

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ローラとブカレストの街を歩く

ローラは、ご飯が終わった後の午後の時間を使って、私にブカレストを案内してくれました。
ローラに「フランスから帰ったばかりなのに、いいの!?」と聞いたけど、ローラは「せっかく貴方がルーマニアに来て、すぐに他の国に移動しちゃうんだから、大丈夫よ」と言ってくれました。
ローラと一緒に歩いていると、驚いたことに、あの広いブカレストの街で、ローラはほぼ10分歩くごとに知り合いに出会っているようでした。
「あらローラ!!!」「こんにちは、ローラ!!!」
ローラは知り合いが多いんだなぁ…ってただ感嘆していました、ローラは「私が生まれ育った町だからね、知り合いはいっぱいいるのよ」と笑顔で言っていました。

ローラは、チャウシェスクが血税で作った真っ白な市庁舎(当時は無人で観覧のみ)から、メインストリート、そしてジプシーが集まるスラム街まで、いろんな場所を説明しながら案内してくれました。
「ルーマニアの光と影を両方見てほしかったんだ」
とローラは言っていました。

ローラは私に日本の事も色々聞いてきました。
私が、「日本は、電車に人が飛び込んで自殺をするんだ」と言ったらローラは凄く驚いていました。私にとっては当たり前な事が、ローラにとってはそうじゃなかったみたいでした。

ローラは、自分の事も色々話してくれました。
ルーマニアの国境が開いて、自由に移動ができるようになった時のこと。
「私はね、ずっとね、海外で勉強したかったの。ずっとずっと。だけど、私が学生の頃は、まだそれは叶わなかったの、社会主義の時代だったから。
やっとね、国境が開いて自由になって、それで、私はフランスで勉強できたの!」
とローラは嬉々として話してくれました。長年の夢だったの!と言ってました。

この話を聞いて、私は、改めて日本の自分の事を思いました、こんな自分ではどうにもならない制限なんてなくて、どれだけ有難かったんだろうって思いました。
セルビアのミリツァとの出会いの時もそうでしたが、空から爆弾が落ちてこなくて、移動も自由で、元々色々なものが豊かにあって…本当に日本にいる自分は恵まれてるなって思いました。

私は、東欧の国に20歳の日本人の女子一人で行くことには多大なリスクが伴うのも覚悟してました。
でも、実際は、こうやって、日本では会う事が出来なかったかもしれない素晴らしい人たちに沢山出会って、私は更に海外が大好きになったのでした。

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次は、ルーマニアの続きです!ブラショフとシナイアの思い出も書きます。
そして、↓の写真は私が当時必死にロシア語を勉強していたノートの1ページです。。。懐かしい。

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