バックパッカー旅行記2007 マケドニア(スコピエ・オフリド)~案内したがりの哲学者のおじさん&人間意外と生きる~

こんにちは、今回はマケドニア(スコピエ、オフリド)のお話です。次はアルバニアです。そもそも、この辺に行ったことある人も「あーマケドニア行きたい~~!」って思っている人も、果たして何人いるのだろうか…!?
ロシアからスタートして東欧を旅した旅日記、今回はマケドニアです。前回はセルビアでしたね!
バックパッカー旅行記2007 セルビア(ベオグラード)~セルビア大学の医者の卵のミリツァ~

ちなみに今は名前が変わり北マケドニアとなっていますが、当時はマケドニアでした。

バス乗り場でたらいまわしにされる

ブルガリアのソフィアのバス乗り場からマケドニアの首都スコピエに行きました。
というのも、ソフィアは、あらゆる近隣周辺国に行くためのハブみたいになっていて、しかもこの辺りは国の間の移動はバスのみしか手段がないため、そうすると、ソフィアのバスターミナルというのが凄く大事な交通の要所となっています。

ソフィアのバスターミナルの観光案内所で「スコピエ行きのバスはどこですか?」とロシア語で聞きました。
そしたら「私知らない、あっちの人に聞いて」と言われて話を切られました。
あっちには明らかに関係ない別のバス会社のカウンターがありました。。
観光案内所なのにおかしい…と思ったら、その人は話を強引に切るなり、PCでソリティアを一生懸命やっていましたww

日本だったら「お客様への精神が!!けしからん!!うんぬんかんぬん」とか騒ぐ人がいそうですが、もう東欧に来て2か月近い私からすると「あー、またか、あるある~~^^」って感じになってしまっていました。。。

※そもそも、人間の慣れとはすごいもので、ロシアに入ったばかりの時は「なにこれ!?」と思うばかりで、色々な意味でのルーズさや時間の守らなさ、ハチャメチャさに衝撃だったのですが、2か月経ったこの時に私の頭に浮かんでいたのは、
「人間、機械じゃないんだから、日本みたいに、キッチリ!ミスなく!…とか言われたら疲れちゃうよね。むしろ、東欧の人達くらい大らかでいい加減な方が人生気楽で楽しいんじゃ!?」
という言葉でした。。。いや、実際、そうだと今でも私は思っていますね。

スコピエに到着

スコピエは、マケドニアの首都です。

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写真を見ても分かる通り、意外と普通で、静かな感じです。

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ここまでくると、もう、アジア人どころか、観光客ですら珍しい?のか、私は道端で何人かの現地人に話しかけられ、一緒に写真を撮ろう!と言われました。
更に、買い物帰りのおば様たちに「一緒にカフェでお茶しましょう!」と言われました。
だけど、ちょっとさすがにお茶する時間はないので断りました。

大都市とかだと、悪い事をするのを目的として、コーヒーに睡眠薬を混ぜるために、こういう誘い方をする強盗とか悪い男性もいるのですが、ここまでくると、多分、ターゲットになる観光客すらいなすぎて、観光客にターゲットを絞った強盗はあまりいない気がしました。

多分単純に興味があって話しかけてきてるんだろうなぁ…というのが分かりました。

ちなみに、マケドニアとブルガリアの間は、1時間の時差があります(豆知識)。

オフリドの謎の哲学者

オフリドに着きました。オフリドは、風光明媚なオフリド湖の近くの街です。

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バスでオフリドに到着するなり、現地で自宅を宿として貸し出してるアントニオが、
「僕の家はおすすめだよ、是非!」
と言ってきました、ゲストブックを見て安心そうだったのでここにすることにしました。

ちなみにこの現地の自宅宿とゲストブックのシステムについては、↓のボスニアの記事に詳しく書いてあります。
バックパッカー旅行記2007 ボスニアヘルチェゴヴィナ:サラエボ ~若い日本人男性を襲う現地宿のヤスナと、弾痕と土葬のお墓群と~

アントニオはカメラマンもやっていて「僕の撮った写真が土産屋の絵葉書になってるんだ!」と言って見せてくれました。

街を歩いていたら、なんか、めちゃくちゃ私を案内したがっているおじさんがいました。
さっきのスコピエ同様、観光客が珍しくてたまらないおじさんに見えたので、案内してもらう事にしました。
おじさんは自分の事を画家兼哲学者と言っていました、街の色んな事を一方的に説明してくれました、説明するだけして一通りの場所を案内して、自分の画廊を見せたら彼は満足したみたいで「これで全部だよ」と言っていました。

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宿に戻ったら、アントニオが私に「アルバニアに行かないかい?」と聞いてきました。
どうやらアントニオの知り合いがアルバニアの首都ティラナで宿をやってるから、そこに話を付けておく、ちなみに行き方については、僕が紙で書いて渡す、と言われました。

当時アルバニアは地球の歩き方に唯一乗っていませんでしたし、周りの国から簡単に直接行ける感じじゃなさそうでした。
正直あんまり治安が良くない謎の国、という感じでした。
欧州で一番貧しい国と言われていて、そこに地図無しで行くとかかなりヤバいぞ…!と思いました。

「死のう」と思ってアルバニアへ行く

アルバニアへ行こうか悩みました。
具体的には夕方数時間くらい悩んでました。

正直当時の私は人生に希望を失くしてました、全く毎日が楽しくなかったです。
当時は大学生で就職を前にしていましたが、なんで皆で「良い企業に入ろうとする」就職活動という制度が日本にあるのか分からなかったからです。
なんで、慶応大学の同級生は何の疑問もなく大企業に入ろうのするか理解できなかった、私はそんなことしたくなかった。
海外で就職するか海外で起業したかった。
でも、親は勿論反対した。前衛的過ぎて周りに理解者もいなかった。
もちろん、こんな心持で就職活動をやって、無理して大企業を受けても、上手く行くはずなかった。
なんで、なんで、私だけ、周りが「普通」と思って疑問もなくできてしまう事が、なんで、できないんだろう…と思ったら、当時の私には絶望しかなかったです。

アルバニアには、アントニオが行き方を手書きの地図で書いて、アルバニアのティラナの宿に連絡してくれるって言っていました。
地図もなく、宿も取らずに、手書きの地図だけで欧州で一番貧しい国に行く…という時点で、もう「最悪死ぬかなぁ」って思ってました。

「でも、別にいっか、簡単に死ねるなら。死にたかったし、本望だわ!」って思って行くことにしました。
なんかふざけた書き方に聞こえますが、本当にこんな感じでした。死にたかったんです。

まあでも、実際は、手書きの地図だけで現地の宿に着きました。
「人間って、意外と死なないんだな…!!」
って当時痛感しました。
多分、私がめちゃくちゃ強運なのと(これは私の神様に何度お礼してもしきれない)、あと、知らず知らずのうちに、ロシアや他の東欧の国での強烈な経験を受けて、色々と無意識に気を付けていたからかもしれないです。

実際、アルバニアからのバスでは、一歩間違えれば襲われて命もなかったかなぁ…という事案もありました(すんでのところで守ってくれた当時のバスの運転手さんには、本当に感謝しています)。

次はアルバニア(ティラナ)です!