10年くらい前(2007年)のお話です。学生時代に女性一人で東欧ほぼ全部をバックパッカーでまわった時のお話です。
美しき東欧随一のリゾート地クロアチアから、ボスニアヘルチェゴヴィナのサラエボに行くバスに乗り、一路、ボスニアに向かいました。
前の記事はこちらです↓
バックパッカー旅行記2007:クロアチア(ザグレブ・プリトヴィッチェ・ドブロブニク)~魔女の宅急便の舞台かと思ってたら違った~
当時、クロアチアからボスニアへの国境を越えた瞬間「ヤバい」と思いました。なぜなら、風景と空気感が一変したからです。
冷たくて重々しくて悲しげな雰囲気です、心なしか空の色も暗かったです。
ボスニアに入った瞬間、周りの景色も一変しました。
土葬のお墓の大群がそこかしこにあるんです。右を見ても左を見ても土葬のお墓。
しかも、白い棒が墓標になっています、その数も半端ないです。

そして建物には無数の銃弾の跡がありました。

当時学生だった私は、恥ずかしながら、この国の歴史について、凄く詳しく勉強していったわけではありませんでした。
でも、セルビアとかの後の記事に書きますが、現地の人達との会話を受けて、凄惨な歴史とこの国の人達が味わった辛い傷について考えさせられる機会が何度もありました。
人は、いつ生まれるかも、どこで生まれるかも選べないです。
でも、だからこそ、日本に生まれた事って、本当に本当に恵まれているなぁ…ってこの時も思いました。
まともな宿がない国での宿泊(東欧)
ちなみに、私はかなり用心深い性格なので、行く前にすべての国について詳しく情報を調べてから行きました。
(と言っても日本にいて得られる情報は本当に限られていましたが)
地球の歩き方というガイドブックは有名だと思いますが、正直、こういう感じのマイナー東欧の国になると、地球の歩き方のガイドブックの情報量だと足りないです。実際、サラエボにはまともな宿なんてなかったですし、現地の情勢も刻々と変化するので、3年に1回程度刊行するガイドブックだと、全然十分ではありませんでした。

特に、こういうボスニアとかの行く人があまり多くない国は、歩き方のライターさんのカバーの数も量も少なく、逆に、歩き方のライターさんに遭遇したって言うバックパック仲間もいるほどでした。
というわけで、私が当時、英語やロシア語(現地語)のHPとか以外で、日本語の情報源で頼りにしていたのは、2ちゃんねるの東欧バックパッカー板でした。そこには、つい最近行ったばかりの人がぼつぼつ書き込んでいました。書き込んでいる人数も圧倒的に少ない上、9割がモノ好きで変わり者の男性パッカーに見えました。
そこに度々名前が出てきたのが「ヤスナ」でした。
まず、ボスニアには基本的にまともなホテルと呼べるものがほとんどない。
バックパッカーは、現地唯一の交通手段であるバスで国境を越えてサラエボに入る。そうすると、バスの停留所で「うちに泊まれます」というカードを持って立っている人がいる。
その中でも有名なのがヤスナだ、と書いてありました。
そして、どうやら、ヤスナは日本人の男性バックパッカーを泊めて、性的な意味で襲うから気を付けろ、と書いてありました。複数の人がそう書いていました。
それを2ちゃんねるで読んだ時に「なんかヤバそう」と思い、私は、別に見つけたボスニアの小綺麗そうな30代くらいの夫婦が経営するB&Bにメールで連絡し、そこを事前に予約しました。
そして、ドブロブニクからのバスがサラエボに到着した時、そこに確かにヤスナ(らしき人)がいました!
ヤスナあらわる
ヤスナの写真です↓

ヤスナは私が日本人と察するなり「うちに泊まろう!うちに泊まろう!」と迫ってきました。
ちなみに、日本人だから彼らが宿代をぼったくるかというと、そうでもないです。一応宿の間で価格競争もあるみたいで、彼らが当時請求してきた値段は14ユーロ位(1500円前後)でした。
そして、こういう自宅宿をやっている現地の人は必ずと言っていいほど「ゲストブックノート」を携えて「泊まろうよ」と交渉してきます。
そのゲストブックには、過去に宿泊した人達が「この人は信頼できますよ、大丈夫」というコメントを口々に残したりしていて、バックパッカーはそれを見て安全かどうか判断するんです。
ただ、英語のメッセージだと、宿主が読んで悪いものは忖度してしまう危険性があるので、読むべきは日本語で書かれた過去の日本人の旅人のメッセージです。
ヤスナが「ここ、日本人のメッセージ、あるよ」と言って見せてくれたところには、過去の日本人の宿泊者みたいな人のメッセージが複数書かれていて、大丈夫そうに見えました。ヤスナは「私が街を案内する、街を全部知っている、美味しいご飯もある、うちに泊まろう」と何度も言ってきました。
※ちなみに、私は結局ヤスナの家に一晩泊まりました。
そして、出発の時にヤスナに「日本人に向けて”この宿最高だった!この宿安全だった!”って日本語でメッセージ書いて!」と激しく言われ、私もメッセージを書きました。2007年3月の事です。
確か、ジャックフロスト(ペルソナ)の絵を一緒に描いて「ヤスナは安全ですよ!」みたいなことも日本語で書き添えた覚えがあります。
2007年3月以降にサラエボに行って、ヤスナに宿の交渉をされて、私のジャックフロストの絵と日本語のメッセージを見た人がいたら、是非、私に教えてください(笑)
ちなみにその時は、ヤスナの宿には興味があったのですが、先に書いた別の宿に既に予約を入れていたので「ちょっと考えてみるね」と言いました。
そしたら、ヤスナは「うちにいつでも電話して、待っているから」と電話番号を渡してきました。なんだか、小綺麗な宿で過ごすよりもエキサイティングな体験が出来そう…と、ワクワク興味をそそられてきた自分がいました。。。
笑顔だった奥様の修羅の顔
そして、30代くらいの夫婦が経営するB&Bに泊まる予定だったのですが、やっぱり、ヤスナのところに泊まろう…と思い、そのB&Bの方にそう伝える事にしました。
キャンセル料は勿論払うつもりだったのですが、キャンセルの旨を伝えた瞬間、笑顔だった奥さんの顔が恐ろしい顔つきになり、「ふざけるんじゃないわよ、キャンセル料として有り金全部よこしなさい!!」と私に物凄い剣幕で迫ってきました。。。
しかも「有り金全部払わないと、貴方のパスポートは返さないから!」と、うっかり渡したパスポートを取り上げられる始末でした。
私が「全部渡したら、明日モスタルに移動するお金もなくなっちゃうよ」と半泣きで言ったのですが、そんなの全くお構いなしな感じで、小銭入れまで目ざとくチェックしてきて「ここにコインも入ってるじゃない、それも全部よこしなさい!ほら!良い子ね~!」と迫ってきて、ほぼ全部の小銭まで渡す羽目になりました。
なんでこれを書いたかというと、本当に、この時のこの奥さんの剣幕が凄まじく悪魔のようで怖かったからです。「ああ、これが弾痕と土葬だらけで戦乱の国を生き抜いてきた修羅の顔か…」と思いました。
正直、日本でこんな一般の奥さんなんて一度も見たことないです。
ちなみに私は、悲しいかな、ロシアでの洗礼もあり、既にカードや大事なものは首から提げた貴重品入れに移していたので、取られたお金の金額については、そこまで重要じゃなかったです。ただただ、この、奥さんの恐ろしい剣幕にヤバさを感じました。豹変っぷりやばすぎでした。
そして、この宿を出て、ヤスナに電話を掛けてヤスナと合流しました。
私は携帯を持ってなかったので、サラエボの駅近くの公衆電話からヤスナに電話して迎えに来てもらいました。ちなみにサラエボ駅近くでも、なんか変な若者たちに絡まれて追っかけられました。。。暗くなる直前だったから少し怖かったです。。ウクライナと言い、ロシアと言い、東欧の旅で何度目か分からない事案です。。。

さっきのB&Bの奥さんの件が単純に腹立たしかったので、「あれはひどいと思う」とヤスナに言いつけました、ヤスナが「それはひどい、どこの宿?私の知り合いのポリスマンにも伝えておくわ」と言って、なんか気づいたらポリスマンに言いつけに行ってました。
ヤスナと一晩を過ごす
ヤスナの宿は、普通の自宅という感じでした。
ちなみに、ヤスナが言う「美味しいごはん」とは、ボスニアのうずまきパンみたいな食べ物でした!現地のローカルフード(特にB級系)に興味津々だった私は、喜んで食べました。
なんか油ギトギトで全く味がしないパンでしたが、なんかそれが逆に現地の風情を感じて、当時の自分的には最高でした。

夜はヤスナの部屋で雑魚寝しました。ヤスナはボスニアのTV番組を説明してくれました。更に、寝る前にガールズトークみたいなのが始まったら、ヤスナは宝物っぽく奥にしまってあったものを出してきて「ねえ、彼らカッコいいでしょ、最高でしょ」と繰り返し言ってきました。
ちなみにそこには、過去に泊まったのであろう日本人男性のパスポートのコピーと、あと、別の日本人男性とヤスナツーショの写真がありました。
この時に、先に書いた2ちゃんねるの書き込みを思い出しました…!!
もしやこの男性達は、ヤスナの家にうっかり泊まり、ヤスナに襲われた男性達なのではないか…!?と思ったら、なんか何とも言えない気持ちなりました。。。
(実際、当時の2ちゃんねるには、寝ていたらヤスナが乗っかってきて服を脱がせてきて、悲鳴を上げた…とか、そういう感じの事案がいくつも書いてあり「ヤスナ(時々イヴァナとも名乗ってるらしい)に気を付けろ」と何度も書かれていました)
ちなみにヤスナは女性には全く興味がないのか、私は何事もなく寝て朝を迎えました。
*ちなみに、全くサラエボの風景に触れていないので、ちょっと触れさせてください、
ちなみに↓は現地で見つけた空手教室の看板です☆

そしてこっちは写真屋さんです!

次の日は、世界遺産に登録された橋があるボスニアの都市、モスタルに向かいました!