今回は、ハンガリー~クロアチアのお話を書きたいと思います。
ロシア・ウクライナと滞在した後に向かいました。ちなみにこのサムネはヘタリアのハンガリーちゃんです、8年近く前の私です…!
前回の記事はこちらです、
バックパッカー旅行記2007:ウクライナ(リヴォフ)~ボロい夜行列車で金縛りに遭う悲劇&ウクライナのマクドの謎メニュー~
正直どちらも、普通に旅行に行くには素晴らしくお勧めの場所だと思います!
東欧の中でも特に行きやすい国だと思います。
是非是非、東欧で風光明媚な景色に囲まれながら穏やかな時間を過ごしたい方には、ハンガリーとクロアチアを強くお勧めします。

ハンガリー(ブダペスト)
ハンガリーはブダペストに短時間滞在しました。
クロアチアはザグレブ(プリトヴィッチェ国立公園)とドブロブニクにそれぞれ行きました。
どちらも洗練された観光地のイメージです。
ハンガリーについては「平和で素晴らしい場所だった」以外の何物でもないです。
ロシアとウクライナで凄まじい洗礼を浴びた私からすると、その後に着いたハンガリーは天国でした…!
一つだけ言うなら、ブダペストのお店の人が英語が通じなかったりしました。
(10年前の話ですが)
でも、ロシア語なら確実に通じました。
ハンガリーは、通貨がハンガリーフォリントです。
ブダペストには有名な観光施設である王宮があるのですが、私が行った時は、王宮に向かうロープウェイが工事中で運休していました。
しかも、当時私が行った時は大雪の日で、ハンガリーにとどまってゆっくり観光できなかったのもあり、早々にクロアチアに向けて出発しました。
ハンガリー~クロアチアも長距離列車に乗っていきましたが、でも、ロシア~ウクライナの電車とは比べ物にならない位綺麗な電車で、しかも、いちいち警官ぽい人達に詰められることもなく国境も越えられ、私は涙が出る位に感動した記憶があります。
最初の期待値って大事なんですね…!!
ハンガリーの街の景観です。

ロシア~東欧を旅した時に使ったロシア語
別の記事でも書いた通り、私は、気温マイナス25度のロシアで英語が通じなかったとき、生命の危機を感じました。
ロシアで最初の時に英語しか満足に話せなかったら、ホームステイ先のファミリーだけでなく、地下鉄の切符売り場のおばちゃんですら私と話すのを拒絶しました。。。
じゃあ歩いて移動しようと思い、電車を使わず歩いていたら、気温マイナス25度の中で低体温症になったのか、だんだん意識が遠のいてきました。。。
そんなこんなの経緯もあり、本屋(ドムクニーギ)で辞書(スラヴァーリ)を買い、必死にロシア語を覚えては使い…を繰り返し、最後はなんとか普通に会話できるようになりました…!電車も10回分の回数券をロシア語で普通に買えるようになりました!
せっかくなので、私が結構な頻度で使った、ちょっと便利なロシア語を書こうと思います、
・スカジーチェ パジャールスタ:すみません ※一番よく使う
・ダー&ニエト:はい&いいえ
・カトールイチャス:何時?
・モージナ:出来るよ! ※結構使う
・パカー&フシヴォハローシェヴァ:またねー&ごきげんよう
・プロースタ スマトリュー:ちょっと見てるだけだよ
(買う気がないお店で使う)
・カメラ フラネーニャ:荷物預かり場
・チョールナヤ チャイ&ズィローナヤ チャイ:紅茶&緑茶
(ロシアはお茶の選択肢は大抵このどっちか)
・ヴァダー スー ガス&ヴァダー ビス ガス:炭酸入りの水&炭酸無しの水
(何も言わないと炭酸入りの水が出てくる)
・サボーイ:持ち帰り(料理とか)
・カコイ ミエスタ スバボードゥナ?:どの場所が空いてますか?
(劇場とか列車とか)
・パーイポーンキイ フォント:日本語フォント
(ネットカフェで日本語入力したいとき)
・フショー スパシーバ!:これで全部だよ、ありがとう! ※意外と使う
ちなみに当時はスマホが普及していなかったため、インターネットを使うにはネットカフェに行かなきゃいけませんでした。
ネットカフェは当然日本語フォントは初期状態で入っていないので、家族にメールするにも、
・ネットカフェを見つける→店員さんに「日本語フォント入ってますか?」と聞く→店員さんに日本語フォントの画面に変えてもらう
というステップが必要でした。。。
ちなみに私はロシアでホームステイをする前に、簡単にロシア語を知っておこうと思い、ロシア語を勉強する本を買って一冊読んでいました。
でも、そこに出てくる例文が「強盗よ!」「助けを呼んで!!」「危ない!」「どいて!!」とかの物騒な言葉ばかりだったので、行く前からロシア(旧共産圏)ってすさまじいんだろうなぁ…と思っていました。

あと、ロシアから帰ってきた後、それなりにロシア語が上手くなったのですが、日本で全く使う機会がありませんでした。
唯一使ったのは、金融の機関投資家の仕事で、ロシア人のヘッジファンドが面談に来た時(ロシア語で話したらめちゃくちゃ喜ばれました)、そして、昔通っていた整体のお兄さんに教えた時くらいでした。
なお、その整体のお兄さんは、どうやら、ロシア人のキャバクラのお姉さんとお付き合いを始めたようで、彼女と関係を深めるためにロシア語をもっと学びたいと言っていました。
そのお兄さんの整体はもう行ってないですが、最後の方は「私の妹分とまず偽装結婚をしてほしい」とその彼女から頼まれている…と言っていて、なんだか闇を感じました。。。
当時は、バックパッカーの聖地はタイで、バックパッカー学生の多くはインドに行って人生観が変わったと言ってましたが、私は数年後に行ったインドでは人生観は変わらず(むしろ観光客慣れした元気で活気ある国だなぁ…という印象)、くしくもロシアで既存概念が吹っ飛ぶ経験を何度もしました。。
実際、行って見たら、ロシアは予想以上に凄かったです…!!
ロシアのすさまじさについては、別の記事で書きたいと思います。
私は当時20歳で海外が大好きな普通の大学生でしたが、ロシアでホームステイ滞在したことで、ある意味、かなり人生観が変わりました。