バックパッカー旅行記2007:ロシア – ウクライナ(キエフ)~なぜかスパイと疑われる~

こんにちは!以前中途半端に書いたっきりだった旅行記も、折角の機会なので再開することにしました。

バックパッカー時代は、女の子一人で、珍しい国を中心に40か国近く出かけました。
このウクライナは、20歳の時に、ロシアからスタートして旧共産圏を一人で回る旅を考えて、ロシアから列車を乗り継いで出かけました。
当時はインターネットに情報も溢れておらず、なけなしの情報(現地のバス会社のサイトとかも必死に現地語を読み解いて)を調べ抜いて、弾丸で出かけました。サムネイルはヘタリアのウクライナちゃんです☆

ちなみに、ウクライナの前に約1か月滞在したロシアで、ものすごい衝撃を受け(これはまた別の記事に書きます)、英語だけではこの旧共産圏では暮らしていけないと気づきました。
また、気温マイナス25度のロシアで生命の危機を感じ、必死にロシア語を覚えました。

当時、大学ではロシア語は一切勉強していなかったですが、絶対音感があって耳から語学を覚える事が得意だった事と、そもそも未知の国ロシアには多大なる興味があったおかげで、最後の方は、他の外国人バックパッカーが言葉が通じなくて困ってるときに、間に入ってロシア語でサポートできるくらいに上手くなりました。
(旧共産圏では、ロシア語で話すとめちゃくちゃ人が優しくなる)

ちなみにこれは10年以上前の当時の話です。

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モスクワからキエフに向かう切符を買う

キエフはウクライナの首都です。
ロシアのモスクワからの夜行列車で出かけました。
もちろん、モスクワからの夜行列車も、モスクワの切符売り場でロシア語で買いました。

モスクワの列車駅は、行先によって駅の建物自体が違います。
カザフスタン行きとウクライナ行きは駅の建物自体が全く違う場所にあるのです。
駅に行くと、大抵変なロシア人の男の人が寄ってきて追っかけてきました。。。
そもそも現地に日本人(というかアジア人)がほとんどいないのもあり、私は珍しい存在だったようでした。

ロシアは治安があまり良くないのもあり、変な目に遭わないよう、ロシアでは私はショートカット+フードを被ってどこの国の人か分からないようにしていました。

列車ですが、大体モスクワ~キエフまでは12時間かかります。
行ったことないウクライナに夜に到着しても恐ろしいので、夜行列車の切符を買いました。
夜行列車だと、夜出発で朝にキエフに着くから、日中に街を歩き回れるからです。

ただ、キエフの列車の席を決める時に、切符売り場の人(日本で言うみどりの窓口の人)と、あーだこーだ話していたら、一つ後ろに並んでるロシア人のおばあちゃんに、
「はやくしろ~~~~!!!」
と地団駄を踏みながら叫ばれました、ロシア人は結構ハッキリしてて感情的だったりしますね。日本から来ていきなりコレだったらビビると思うのですが、1か月滞在すると結構慣れてしまう自分がいました。。

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キエフに向かう列車に乗る

そんなこんなで、モスクワ駅からキエフに向かう列車に乗ろうとしました。
しかし当日、なんと、電車に乗る直前に、プラットフォームでロシア人の警官に囲まれました、どうやら私のようなアジア人の若者が一人で列車に乗ることが珍しいみたいで「スパイじゃないか」みたいに思われたようでした。。。
「私は観光客です!東京の学生です!
(ヤーツーリストカ!スチューディエントカ、ナトーキオ!)」
って何度も言ったら列車に何とか乗れました。

列車は4人のコンパートメントで、同じコンパートメントにはロシア人の女性2人と、あとウクライナ人の女性1人がいました。
みんな、私が日本人なのが珍しそうで、めちゃくちゃ興味を持っていました。
ロシア語で話したら、なんかすごく喜んでくれて、酒盛りが始まりました!

私はお酒は結構自信がある方(今まで一度も記憶を飛ばしたことがないし、酔いつぶれた事もない)なのですが、この時に限っては、彼女たちがウォッカの原液で乾杯してどんどん飲み進めていく中で、私は早々に凄い眠気が襲ってきました。。。

頭がぐるぐるしてきて「先に寝るね」と言って先に寝ました。
そしたら、残りのみんなが「あの子が寝てるから、静かに騒ごうね」と気を使ってくれてました、優しいなぁって思いました。

ちなみに、この列車は、国境が近づいたら兵士?みたいな人がパスポートを全員から取り上げます、そして、国境を超える時に書類を書いて提出して、それをもって、ハンコが押されて帰ってくる仕組みでした。

その書類が全てロシア語で記されていたのですが(私の知らないロシア語もあった)、一緒のコンパートメントのロシア人とウクライナ人の子達が、
「ここはこうやって書けばいいんだよ」
とみんなで教えてくれた上に、更に、兵士の人がパスポートを押収するときに、また私を見て、珍しいアジア人で凄く不審そうな目で見ていた時も、
「彼女は怪しい人間じゃないわ!!」
とみんなで言ってくれました。

出入国手続きは、おかげで、私がウォッカの原液にやられて早々に寝ている間に問題なく終わりました。

↓キエフの中央広場画像4

キエフに到着する

朝になり、キエフに到着しました。
キエフは、とにかく、大規模な町でした。

旧共産圏(特にロシア)に言えるのですが、建物と建物の間がとにかく広い!
そして、建物一つ一つが大きい!

キエフもまさにそんな感じでした。
まだ宿を取っていなかったので、まずは、キエフの鉄道駅から地下鉄に乗って、宿が集まっている中央広場付近に行きました。
鉄道駅から中央広場までも結構な距離があった気がします。

そして、宿を探して、
「今日一日泊まれますか?」
とロシア語で聞いて回っても、なぜか、どう見ても部屋が空いてそうなのに「うちは空いてない」と言い張る宿がいくつかあったのが驚きでした。
(旧共産圏は、これに限らず、日本人の私から見ておかしなことや不思議なことは日常茶飯事でした)

そんな中で、へとへとになりながらも何軒も回って、やっと「空いている」というホテルを見つけ、そこに泊まる事にしました。
そして、夕飯を買いに行こうと思い、近くのお店に出かけたところ、後ろから、
「ニホンジーーーン!!!」
と叫んでる謎のウクライナ人の若者達に追っかけられ(もはや段々慣れてきた)、また走って逃げました。。。

なぜか、この旧共産圏は、謎の男性達が叫びながら追っかけてくる事案が多すぎです。。

そして、なんと、私はキエフ2日目に近くのお店で買ったサラダでお腹を壊しました。。
私、お腹はかなり強い方なんですが、この日はなぜか盛大に壊れて、次の日の朝は、トイレでうんうん言ってました。。
苦しみながら「もう乗らなきゃ間に合わないんだ!」と、必死にリヴォフ行きの夜行列車に飛び乗ったのを覚えています。
今思えば結構散々でした、キエフ。。。

キエフは本当に広い町で、多分、ちゃんとまわるのには数日かかると思います。
ロシアもそうですが、ウクライナも、クラシックのコンサートホールとか、とても立派なものがあります。

私はキエフには2日滞在しました。
食べ物の事とかは、次に行ったウクライナ第二の都市である「リヴォフ」という町の事を書くときに、詳しく書きたいです。

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キエフから周りの街への観光について(チェルノブイリ、オデッサ)

ちなみに、ウクライナは、チェルノブイリがあります。
原発事故の跡地があるんです。驚いたことに、チェルノブイリは特に立ち入り禁止区域とかにはなっておらず、なんと、キエフからバスで普通に行けてしまいます。
「チェルノブイリに行った際に受けるいかなる身体被害にも責任は持ちません」
という注意看板があるのみで、普通に行けると聞きました。

こういう感じで、日本人の目線で言えば激しくデンジャラスなものが、普通に手の届く場所にあるのも、この旧共産圏の凄いところだと思いました…!
私はさすがに身体被害が怖くて行きませんでした…

あとは、行きたかったのですが時間がなくて行けなかったのが風光明媚な海岸の町「オデッサ」です。ビーチもあり、避暑地としても有名だと当時聞きました。
ただ、10年前のウクライナですと、キエフ~オデッサの電車も、本数が少ない上に片道10時間近くかかったのもあり、バックパッカーとしては、ウクライナだけでそこまで大量の時間を使えず、泣く泣く行くのを諦めました。。

ウクライナって、すっごく大きいですよね。
そして、電車はめちゃくちゃ低速でした。。

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今書いてみても、キエフだけでも結構な思いを色々したのですが、でも、既にロシアでの滞在で物凄い洗礼を受けていた私からすると、悲しいかな、これらの経験は「まあ、あるよね」みたいな感じで想定内でした。。。
人間って慣れるもんですね。。。。

次はウクライナのリヴォフ~ハンガリーです、
バックパッカー旅行記2007:ウクライナ(リヴォフ)~ボロい夜行列車で金縛りに遭う悲劇&ウクライナのマクドの謎メニュー~