[About Me]世界を回るコスプレイヤーと金融女子の人生。

長文の自己紹介も兼ねて、自分の人生の一端をブログにも掲載させてください☆

これは、以前、世界で輝く女性のリレーブログ「All Our Tomorrow」に寄稿させて頂いたものです。
高校の同級生が運営する素敵なブログで、何か一つでも伝えられれば…と思い、長文で自分の人生の一端を書きました。「どんな奴だろう?」と思ったら、こちらを自己紹介代わりにご覧ください。

—–

今回は折角の機会なので、主に、コスプレに夢中になって世界に行くまでの事を書けたらと思っています。

1.コスプレイヤーになるまで

私がコスプレを初めてやったのは高校二年生です。初めて行ったイベントで、当時憧れだったコスプレイヤーのお姉さん達に「凄く可愛いですね!」とほめてもらった事がきっかけでした。小中学校の頃に手術が必要な病気を患っていたせいで、いじめられていた私だからこそ、その「可愛いですね」という言葉は、当時何よりもの宝物でした。

また、当時はオタクやコスプレに対する偏見が今より強く、親に黙って衣装を作り上げ、初めてコスプレイベントに行った日には、帰るなり親に「今日お前は何してきたんだ!?」と勘当された事を今でも覚えています。
コスプレのおかげで、何百着ものお洋服やウィッグと小道具の自主製作を通し、ものづくりだけでなく、メイクやファッションまで大好きになった上、写真や表現の世界への造詣も深まり、本当に幸せです☆

ファイル 2017-10-10 21 40 09

また、絶対音感があったため、高校時代は自分でファイナルファンタジーやペルソナ等のゲーム音楽やJ-pop音楽を100曲以上耳コピでDTM打ち込みをし、Midi音楽のHPを作ったりもしていました。耳コピながらにかなり本格的に作りすぎて、JASRACの著作権法施行時にはJASRACに見つかって直接メールが来たりもしました☆(笑)

更にそこから発展し、文化祭の演劇ではBGMを担当させてもらったり、あと、女性向けWeb音ゲーの音楽を作ったりもしていました。

作曲活動があまりに楽しく、当時は音大に行きたいとすら思っていました。しかし、親を納得させられず、結果「受験勉強を一刻も早く終えたい。大学に行けば時間がいっぱいありそうだからコスプレも更にいっぱいできる。何より憧れのコスプレイヤーのお姉様方とまた遊べる!」と思い、4年制大学の経済学部に入りました。
上記の通り、当時の私には「やりたいこと」「将来の夢」とかいう大層なものはなくて、ただ「楽しいことをいっぱいしたい」くらいしか考えていなかったです。多分今もそうです☆

ファイル 2017-10-24 11 36 27

2.バックパッカーとして世界を回る

大学時代はコスプレ三昧でした、年齢やバックグラウンド関係なくいろんな人達と、コスプレを通してフラットに繋がれるのは本当に幸せなことでした。

そして、ある日私に、仲良しだったコスプレ仲間のお姉様たちが、「ひかりちゃん、社会人になったら、お金はあるけど時間はないと感じる日々だよ。だから大学生のひかりちゃんは、借金してでも時間を有効に使った方が良いと思う」と言ってました。そう言われた私は、大学当時に早速、一番やりたかった「世界一周バックパック一人旅」を敢行し、休みを活用して色々な国に一人旅に出かけました。

変わった事が大好きだったので、みんなが行ったことない国に興味津々でした。思い起こせば、珍しい国を中心に合計40か国以上出かけていました。今はもう行くのが大変なシリアにも好奇心で出かけました。イスラエル(ジェリコとヘブロンとベツレヘムとエルサレム)にも行きました。数行では書けないレベルに、とても面白い国でした。

海外ボランティアとしては、20歳の時にアラスカに行きました。
昔から行きたくて仕方がなかったアラスカでは、アンカレジ~フェアバンクスを7日間かけて走る、世界最大の車いすレースのサポートクルーをやりました。
私はアラスカの原住民族のお姉さんと二人で、エルサルバドル人の車いす選手のサポートを担当しました。原住民族のお姉さんには「日本人って、豊かすぎて何もできない国にいる人たちなんでしょ?」と最初に言われ、また、レーサーの人達には、過酷でハードなレースの中での関わりを通して「助けた気になっている自己満足はボランティアではない」ということを経験を通して痛感させられたりと、全てが学びでした。

何より、車いすレーサーの人達が、健常者の人達以上に生きるエネルギーに溢れていて、ボランティアという言葉を使うのがおこがましい位だという事を痛感したことが、まだ学生だった私にとって一番印象的なことでした。

21歳の時にはロシアをはじめとする旧共産圏の13か国を2か月かけて一周しました。
旅程は、ロシア(モスクワ・サンクトペテルブルグ)→ウクライナ(キエフ・リヴィヴ)→ハンガリー(ブダペスト)→クロアチア(ザグレブ・プリトヴィッチェ・ドブロブニク)→ボスニア(サラエボ・モスタル)→モンテネグロ(ポドゴリツァ、コトル)→セルビア(ベオグラード)→ルーマニア(ブカレスト・ブラショフ)→ブルガリア(ソフィア・ヴェリコタルノヴォ)→マケドニア(スコピエ・オフリド)→アルバニア(ティラナ)→トルコ(イスタンブール)→ウズベキスタン(タシケント・サマルカンド)でした。

ロシアからスタートしたのですが、日本から到着した初日は2つのロシア語、「美味しい(Вкусные)」と「ペンを持っていますか?(У вас есть ручка?)」しか知らなかったのですが、色々な人と出会っていくうちに、2か月経ったら日常会話ができるようになり、現地のキリル文字も読めるようになりました。ぐるりと回って最後に行ったウズベキスタンでは、現地語メニューしかないレストランに他の外国人バックパッカーを連れて行き、みんなの分を現地語で注文したり出来るようにもなっていました。

沢山の出会いがあり、ロシア~ウクライナの夜行列車では同じコンパートメントのロシア人やウクライナ人の女の子達と仲良くなってウォッカを乾杯したり、なぜか現地のおばさんとかに度々道を聞かれたり、モンテネグロではホテルがなくて現地の民家に泊まって一緒にご飯を食べつつ赤ちゃんと戯れたり、もうとにかく数えきれない思い出が出来ました☆

中でも一番印象的だったのは、セルビア~ルーマニアの夜行列車で出会ったルーマニア人のローラでした。彼女はルーマニアの国営TVで働くジャーナリスト、当時35歳でした。
私たちは夜行列車で同じコンパートメントでした。彼女はフランスの大学に留学していて、この日はルーマニアに数年ぶりに帰ってくる日でした。

彼女はルーマニアの伝統的な女性歌手のドキュメント番組を作ろうと企画書を書いていました。私はその歌手の曲を聴いて、絶対音感で楽譜を目の前で書いてプレゼントしました。彼女は大層喜んでくれました。私たちは夜行列車の中で、夜通しお互いの人生について話しました。ローラは、私が21歳でどうして旧共産圏を一人で旅しているのか?人生で何をしたいのか?とかの色々な質問をしてきました。

私は当時「親がうつ病になって、私はどうやって向き合っていいか分からなかった。だからこそ私は世界を知って、親を元気にしつつ、自分も社会で強くしっかりしなきゃと思ったんだ」と言っていたような気がします。
その後、列車がルーマニアのブカレストに着いたら、彼女は自宅に招待してくれ、彼女のお母さんが美味しいルーマニア料理を振舞ってくれました。その後、ローラはルーマニアの街中を沢山案内してくれました。ジプシーがいるスラム街や、チャウシェスクが血税で作った市庁舎跡に案内してくれて「ルーマニアの光と影を両方見てほしかった」「社会主義の頃は国を出られなかった。やっとフランスに留学に行けたのよ」と言っていました。

夜は彼女の友達が開いた「ローラおかえりパーティ」に厚意で呼んでもらいました。彼らは敢えて現地語ではなく英語で私に話してくれました。彼女の友達は「やった事ない事をやるのは勇気がいること、このルーマニアまで東欧の国をめぐって一人で来た勇気に敬服するわ」と言ってくれました。
私がルーマニアからブルガリアに出発する日、最後のお別れの時に、心からのお礼を言った時には、ローラは、
「私も若いころ旅をしていて同じように助けてもらったから、それを貴方に返したの。貴方は私じゃなくて、また別の人に返してあげてね」
と言いました。のちにこのローラの言葉は“Pay Forward”の概念だと気づきました。でも、体験を通してその概念を伝えてくれたのは、私にとっては彼女が初めてでした。

この経験があるからか、今は、色んな外国人オタク&コスプレイヤーさんの日本案内をやっています。ドイツ、アメリカ、ベトナム、中国…いろんな国のお友達を楽しく案内しています☆

3.コスプレで世界へ

金融でファンドマネジャーになった後は、3年近くコスプレが出来ませんでした。毎日朝5時に起きて夜まで仕事と勉強をし、土日も朝6時から夜までスタバにこもって勉強する日々でした。スタバのお姉さんともすっかり顔見知りになり、大量の投資や経済の専門書にお金を使う日々でした。

凝り性でオタク気質な私は、やるからには一番上の更に上を目指したくて、人の数倍努力しよう!と決意し死ぬ気でやっていました。投資の世界は新しく知ることがとても多すぎて、それまで海外ボランティア系にばかり興味を持っていた私には、すべてが新鮮で好奇心が刺激される場でした☆
ですが、リーマンショックの後に仕事の負担が限界まで達した時、辛くてたまらなかった私は、コスプレ活動を本格的に再開しました。大好きなキャラをコスプレで表現したい!と思い、作品を残しました。当時はヘタリアという漫画が大好きで、仕事のストレスを全力でコスプレ撮影に昇華しました☆

そしたら「楽しい」という気持ちが世界に伝わったのか、海外へあっという間に写真が広まり、色々な国の人達がファンになってくれました☆

東日本大震災の時には「Hikariちゃん無事ですか!?」というメールが一晩で200通来るレベルにまで、もう仕事の片手間では運営できない位に「Hikariちゃんのコスプレ作品」が独り歩きし始めていました。仕事が大変だった時期なのもあり、世界中の人達の「Hikariちゃんに会えてうれしい」「Hikariちゃんの写真が全部好き」「Hikariちゃんにあこがれています」という言葉は、私の心を本当に幸せにしてくれました。

コスプレで世界を回った時は、ドイツやフランス、そしてタイや香港・台湾を含めて10か国近い国に行きました。どのイベントに行っても、私を知ってくれている人が沢山いました。本当に色々な国の子達が私のコスプレを知ってくれていました。一部の国には何度も出向き、現地人のコスプレイヤーのお友達に協力してもらい、現地の展示会でグッズの販売もやっていました。

折角なので、一つ思い出を書こうと思います☆マドリッドで家に泊めてくれたコスプレのお友達なのですが、彼女はゲイでした。私に「日本の下妻物語って映画が大好きだよ」と言っていて、夜通しお互いのいろんな話をしました。彼女の同居人で、男性のこれまたゲイの友達が、「僕は英語が下手だけど、異国から来た君とこうやって話せてうれしい」と、次の日の朝の駅までの道すがら、はにかみながら言ってくれました。

コスプレの世界には色んな人がいました。違いがあるのが当たり前であること、そしてみんな中身は同じ事、バックパッカーの時以来に再度痛感させられました。コスプレでも、ここには書ききれないくらい、本当に本当にたくさんの出会いがありました☆

ファイル 2018-03-27 3 00 16

ドイツのHessenでのイベント写真と、台湾の友達との撮影の写真です☆

ちなみに、ドイツのアニメイベントでは、親愛なるドイツ人のWanaが動画を作成してくれました。折角なので紹介させてください☆(私は0:15のところで出演しています!)↓

今となっては、コスプレで世界に出るときも、バックパッカー等を通してロシア語とインドネシア語が日常会話レベルならできるようになったことが、私を海外のより多くの人達と繋がることを助けてくれました。更に、言語だけでなく、一人旅をしていた時に海外で感じた「この国は素敵な国だったな、前に会ったこの国の人は素敵だったな」という相手の国を理解して愛する気持ちも、沢山の素敵な出会いをくれました。

ちなみに私は、数年前に一度コスプレ活動を中断しています。

当時、仕事でNYのウォールストリートで働くチャンスが来ていて、キャリアとの狭間で限界まで悩んだうえでの決断でした。断腸の思いで、コスプレのHPもSNSも全部消しました。

その直後、私がネットから消えたことで、外国人のファンの子達が「Hikariちゃん、どこへ行ったの?帰ってきてほしい」と一斉に書き始めました。私が消した写真が全部上げ直されていました。私のファンページには「Hikariちゃんはどの人にも平等で優しくて、大好きだった」「みんなと向き合って話してくれて、今までこんなコスプレイヤーさんはいなかった、凄く嬉しかった」などと書いてありました。

世界中のファンの子達が、写真以外の、中身まで見てくれていたなんて思っていなかった私は、それらのコメントを見て沢山泣いてしまいました。

当時は、芸能事務所に入らないか?とか、これは絶対にビジネスになるよ!とか、色んな人が話を持って来ていたのもあり、若干ゴチャゴチャしてもいました。リセットの意味も込めて「自分でビジネスを作れる。自信を持って、また5年後に戻ってこよう」と心に決めたのを覚えています。

そして今、その時から5年近く経って、約束通り戻ってきました☆

まさかの有言実行になるとは思わず自分でもビックリしています。でも楽しいです☆

まだまだ、日本のコスプレイヤーとして世界に出て行って伝えたい事が沢山あります!英語や他言語ができる日本人コスプレイヤーとして、日本の良さを全力で伝えるべく、今年も沢山の国のアニメイベントに出向きたいです☆

画像4

4.金融のキャリア

話は変わりますが、私は新卒から金融業界にいました。金融でのキャリアを中心とした話については、以下日経Quickの記事にて非常に分かりやすく書いて頂いています。

*金融女子から本業・コスプレーヤーへ クールジャパンで目指す起業

国内外の金融機関の投資部門で10年間バイサイドのファンドマネジャーとして働き、株のエコノミストや経済のアナリスト、PEファンドやヘッジファンドへの投資にも携わりました。2015年には有難い機会で、外資系金融機関の米国本社にて、NYのウォールストリート界隈で働く機会を得ました。

金融の世界にいたおかげで、沢山の事がわかりました。政治・経済の動きや企業業績の変化に伴うマーケットや実体経済の変化の流れが体験を通して知れました。

最初の上司が「経済指標やマーケットの動き、会社の決算や財務の数字、たとえそれらのデータと共にどんな意見がついていたとしても、決して自分の事を若手で無知だと捉えてそれらを鵜呑みにせず、データを見て自分が先入観抜きに一番最初に感じたことを大切にするように」と言っていました。

リーマンショックからの米国のジョブレスリカバリー(米国は業績回復が日本より早く、信用残高の増加と共に消費活動がすぐに回復していた)に加え、住宅市場の低迷と賃金水準の低下が長らく続く米国経済の状況をリアルタイムで目の当たりに出来たこと、更にギリシャ危機でユーロ安が進んだ結果ドイツが潤っていく様など、色々な側面の様々な現象と共に、たくさんの事を考えられたのは、本当に良かったです。海外や日本の経済やマーケットの話は大好きなので、いつでも、興味があったら話してやってください☆

5.さいごに

長く書きましたが、今この時点で私が思うことは「人はありのままが一番美しい」です。もはや私の人生となりつつある撮影活動の中でも、ファインダーを通し、その事を顕著に痛感しています。自分をまるっと受け入れないと、良い作品が残せないです。

自分が嫌だと思う部分を隠そうとすればするほど「その部分に欠陥(と本人が認識しているもの)がある」と、全力で周りに伝えることになってしまいます。皮肉な話です。自分が欠点と思っている部分も見つめて受け入れて、もっともっと、ありのまま全てを出していけたら…と思う日々です。

私が今撮影で目指しているのは「写真を何枚見ても飽きない、いつまでも新しい表現を目指すこと」です☆

自分を出すのは勇気がいるけど、でも、出すことによって覚悟ができるし、出してみることによって更に、世の中に貴賤がない事を体験から理解していける。まだまだ道半ばですが、何かを否定して変えようとするのではなく、自分らしく在る方向に向かうことで、まずは自分と自分の周りを楽しくしていけたら最高です☆

そして、もうこれ以上「金融と二足の草鞋だし、どうせいつか辞めるんだし…」と自分に言い聞かせて自分を後ろに引っ込めるのではなく、お洋服ブランドもコスプレ活動も、どっちも改めて本気で、日本の良さを世界中に伝えるべく、世界制覇を目指して全力を尽くす所存です(*^_^*)

頑張るぞっ♪♪

*コスプレのページ
Cosplay Instagram:https://www.instagram.com/hikari_green/