本当の幸せ(=愛)/渇望について

※これは、私が2年前、起業する直前に出かけた瞑想修行(10日間、山奥で朝4時から夜9時まで、ひたすら誰とも話さず目も合わせず瞑想のみをするという修行の場)で、瞑想を経て気づいた事を直後に書き留めたものです。
その1です、長いので分けています。

目次

1.本当の幸せ(=愛)について
2.渇望について
3.罪悪感について
4.嫌悪について
5.嫌悪から解放されるには
6.無知について
7.獲得ゲームについて
8.悟り(=差取り)について
執着を生む事が不幸の元凶であり、執着を手放すことにより、人は、本当の幸せ(=愛)に気づける。
執着には3種類あり、渇望、嫌悪、無知が存在する。

1.本当の幸せ(=愛)について

本当の幸せとは、つまるところ、愛である。
愛とは何か?
相手の自由を完全に認める事、相手へのコントロールを手放すこと。
よって、究極の愛とは、すべてのコントロールがなく、完全な自由が認められている状態である。

「執着を手放す事が幸せに繋がる」のはなぜかというと、すべての物事に対するコントロールを完全に手放すと、自分自身に対するコントロールに関しても、完全に人(自分含む)から、手放されることを認められるから。
「どうあっても良い、どうあっても許される状態」が至高の愛の状態。

2.渇望について

まず、渇望は、既に持っているものに対する執着。
例えばお金で言うと、お金を持っている自分に対して驕りの気持ちを持ち、お金を持っていない状態の自分を恐怖し、お金で物事をランク付けしている状態。
もちろん、お金を持つこと自体が悪ではないが、手放せないと、それは渇望と言う名の執着となる。他にも、容姿、肩書など、色々ある。

では、人は、様々なものを持っていると思うが、どこからが、渇望と言う名の執着になるのか?
それは多分、自分の中に無意識に「自分より持っていない人に対する見下す気持ち」が生まれた瞬間から、執着に変わっているのではないかと思う。
それは、言葉でいうと「卑下」「慢心」とかではないか。

卑下、慢心を生んで何が悪いのか!?手に入れるために、努力してきたんだぞ!とも思いたくなるかもしれない。
しかし、幸せになるためには、卑下、慢心は大きな邪魔になる。

まず、卑下、慢心を生んだ瞬間に、人は相手を見下しつつ、ほぼ確実に罪悪感を持つ。
これはほぼ自然に生まれる。心が冷徹で、そんな罪悪感なんて気持ちないよ!って人も、見えるところに罪悪感がないだけで、実は、奥底にそれが眠っている。そっちの方がタチが悪い。いずれにせよそれはあり、眠っている(=消えていない)だけなのだから。

そして、更に、“持たない状態”に変化する自分をとてつもなく恐怖する。
持たない自分に変化した時に、自分が自分に卑下されてしまうからだ。そして、自分が勝手に自らの思考の中に作った他人からも強烈に嘲笑され卑下されるだろう(本当はその他人は存在しない虚像なのだが)。過去自分が他人に同じことをしたように。
まさに一寸先は闇だ。闇を作っているのは、ほかでもない自分なのに。