Sakai Atsukoと言います、コスプレネームはHikari Greenと言います。海外が大好きなコスプレ歴17年のオタク兼腐女子です。元々国内外の金融機関でファンドマネジャー(機関投資家)を10年間経験していました。
ちなみに、私が何故こんな生き方をしているか等のコスプレを始めた時からの話については、金融女子コスプレイヤーの人生についてに詳しく書かせて頂いてます。
何かありましたらメール(contact@hikarigreen.com)で宜しくお願いします。
主にInstagramで活動していて、他にもTwitter、Youtube、FB Pagesもやっています。
金融時代は、業界用語でいうバイサイドのフロントにいました。
当時はキャリアを積むために日夜仕事にまい進していました、慶応義塾大学経済学部を卒業し、日米の金融機関で機関投資家をしていました。外資系金融機関にいた頃はNYのウォールストリートで働いたりもしていました。
元々は機関投資家として株式投資(株のトレード、アナリスト、エコノミスト)の仕事をしていましたが、途中からPrivate EquityファンドやHedge Fundの投資も行うようになりました。ちなみに、直近は某メガバンクの投資銀行部門にいました。
一方で、コスプレイヤーとして17年間活動していました。
元々アニメや漫画が大好きで、17年前の当時はオタクやコスプレという言葉は今とは全く違った目線で見られていましたが、コスプレの世界でいろんな人に出会えることが本当に幸せでした。
17年間で200着以上の衣装を自作し、数十万枚もの写真撮影を経験しました。
上記の経験については、以下の日経Quickの記事に凄く分かりやすく書いてもらっています。
今は時々世界コスプレサミット(WCS)さんのお仕事を手伝ったり、コスプレで世界の国々のイベントにゲストで出たりもしています。
2010年前後にコスプレで世界に出て有名になった事をきっかけに「自分が人生で本当にやりたいこと、楽しいと思うことはなんだろう?」と考えるようになりました。
私は学生時代からバックパッカーをしていて、50か国以上の国に一人旅で出かけていました。
バックパッカー時代には、ロシアやイスラエル等の私にとって未知の国にばかり出かけていました。
特に強い興味があったのが中東や東欧(旧ソ連)でした、紛争前のシリアにも出向いたりしていました。東欧の特にバルカン半島付近の国々はほぼ全て制覇したと思います。おかげでロシア語も日常会話程度ならできます。
ちなみに東欧はほぼ制覇しました、他にもウズベキスタンやレバノン、ボスニア、セルビア等の他の人が行かない国にばかり出向きました。
私がどんな人間かは、私が寄稿している *Forbesの連載(外部リンク)* をご覧いただいたらよくわかると思います。20歳の頃にはアラスカで全米最大の車いすレースのクルーをするという海外ボランティアや、イギリスのケンブリッジ大学(ダウンニングカレッジ)への留学も経験しました。
加えて、小さい頃から絶対音感があり、高校時代の時は作曲活動をしていました。
絶対音感がどんなものかは*絶対音感について*という記事に書かせて頂いてます。
高校時代には自分でhtmlやcgiを組んでHP作成し、JASRACの著作権法が施行されるまでの間、100曲以上の曲を耳コピによるDTM打ち込みでHP上で発表していました。
当時は打ち込み作曲によるMIDI音源をアップロードする人自体が少なかったこともあり、私のサイ卜はそこそこ有名になり、20年近く前の当時において、1日1500人近くが舫れるサイトにまでなりました。
絶対音感があると言語を党えるのが格段に速くなる恩恵もあってか、英語だけでなく、バックパック等で海外に行ったことでロシア語に加えてインドネシア語を日常会話レベルまでマスターしました。
そのおかげでコスプレで海外で有名にもなり、コスプレで20か国以上のイベントに出かけてゲストとして現地の外務省の方々ともお話しさせていただいています。
特に好きな国は、上述した留学などでも出かけたロシア、イスラエル、インドネシア、アイルランドなので、コスプレでも、これらの国には特に頻繁に出かけたいと思っています。
バックパッカー時代は若い女性一人旅なのもあり、気が休まらない瞬間も多かった一方で、コスプレという自分が大好きなことで海外でいろんな人と関われるのは本当に幸せなことでした。
当時、同時にアクセサリーをデザインして海外(台湾や香港)でも売ったりもしており、そのアクセサリーもコミックマーケット等で一日で500個近く売れたこともありました。
メディア掲載履歴は*こちら*、作曲活動は*こちら*、海外記は*こちら*です。
今はこれらの経験を全て活かして自分の好きなことで楽しく人生の時間を過ごそう!と思って生きています。
ちなみに、親の17年近い病気(鬱病)をきっかけとし、親を元気にしたい一心で心理学・脳科学をひたすら勉強していた結果、人生の究極の幸せは外部的なものではなく、自分の心の在り方だと思わされ、ちょうど起業する前に山に瞑想修行(知る人ぞ知るヴィパッサナー瞑想)で籠ったりもしてみていました。その時の記録がこちら*人生とは*です。
今は、何でも楽しんでやることが重要だと感じる日々です☆